【Cameraman and Editor's NOTE】24)見切れ

【Cameraman and Editor's NOTE】24)見切れ
 
本来は「見えちゃいけないものが見えちゃう」ことを「見切れ」と言うのですが、最近では「見えるべきところが見えない」ことを見切れと言ってもいいことになってます。
本作は前者の「見切れ」との戦いでした。
劇場を区切って、パーテーションやカーテンで仕切ってカフェやらショップやらにしてました。
カフェのドアとか、あそviva!劇場のドアに立て掛けてあるので、時々カフェのドアが倒れてくる事態が発生してましたw
よく見るとカフェのドアが斜めになってます。本当のドアならたてつけ悪くて開きませんよねw
そういった見切れをできるだけ防ぐために撮影ポイントが結構限られました。
物理的に無理だろ、というシーンもありましたが、でも必ずどこか見切れにならずに撮影できるポイントがあるはずと諦めずに信じて探して、頑張れば見つかるものです。
諦めちゃいけないな、と教えられました。
その中でも印象的なのがショップの壁です。
高さが170cmくらい?主演の佐藤さんが185cmくらい?
「お前に分かるわけがないじゃないか!」「分かるよ!」って立ち上がった瞬間、佐藤さんの頭が壁を越えてしまいました。
あっ、と思って止めようと思ったのですが、場の雰囲気に気圧されてそのまま続いてしまって…。
佐藤さんとあまるさんか熱演の中、私は見切れにならないポイント探りながらの撮影…。
結果、これが正解だったのですが、ここにたどり着くまでの撮影がガタガタ。
撮り直しというのも考えたのですが、あの雰囲気はたぶん二度はないだろうと思いました。
そのためカクカク感の強い10fpsで逆に手振れを強調して、緊迫した雰囲気の演出に繋げましたが、結構苦し紛れかも。
そんな葛藤とあわせてこの場面、お楽しみください。
 

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【Cameraman and Editor's NOTE】24)ネタバレ

【Cameraman and Editor's NOTE】24)ネタバレ
 
 
いよいよ上映も明日10月24日と明後日10月25日の各4回限り。
10月24日17時回に私もあそviva!劇場に行きます。
その前後に、ここに書いてきたような話を出来れば、と思ってます。
17時回とその後の20時回は席に余裕があるようですので、映像制作の実際に触れてみたい方、ぜひお越しください。
ここに書いてきたことは基本的にネタバレに属するものです。
ネタバレをしていいのか、というのはほんと考え方によると思います。
あまるさんはネタバレに否定的な立場のようですが、私はどんどんネタバレをしていくべきだと思ってます。
というのは消費者の消費行動、特に若い世代のそれは、未知の興味から既知の確認に変わっているからです。
不確実なものから確実なものへ。インスタでバズって見たことがあるものを見に行く現象がその一例です。
それに本作に関してはネタバレのネタなんていくらでもあって語りつくせないのですよ。
それをここで語ろうと思っていたのですが、いよいよ明日明後日の上映限りとなってその機会も少なくなってきました。
本当はこの場面とか、映画「グエムル」(2006年公開の韓国映画)で、怪物が襲ってきてみんなパニックで逃げてるのに、イヤホンで爆音の音楽を聴いていて気付かず逃げ遅れた女の子のオマージュなんですけど、とか、このときの音楽の著作権は、とかいうような話、いくらでもあります。

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【Cameraman and Editor's NOTE】23)パラパラ

【Cameraman and Editor's NOTE】23)パラパラ
動画は、静止画を短時間で多数見せることで動いているように見せるものです。
1秒間に何枚の静止画を見せるかを表した単位をfpsというのですが、少なければカクカクした映像に、多ければ滑らかな映像になります。
テレビの場合は29.97です。このくらいが人間の目には自然な動きに見えると言われています。
fpsが高くて滑らかなほどいいか、というとそうでもなくて、120fpsで作られた映画もありますが、滑らかすぎてヌルヌルで気持ち悪い、という評判でした。
一般の映画は、というと24fpsで作られることが多いです。
これはまだフィルムの時代に、出来るだけ少ないフィルムで出来るだけ自然に見えるように、という妥協の産物で、よく見比べると自然な動きよりちょっとカクカクしています。パラパラ感とも言います。
長年にわたり24fpsで映画が制作されてきたため、パラパラ感=映画というお客様への刷り込みが生じて、結果として24fpsの映像を見ると、それだけでワクワクした非日常をイメージする方が多いようです。
ちなみに本作品は15fpsで制作されています。(正確には29.97fpsで制作してストロボフィルタで2フレーム間隔で2フレーム静止を持続させています)
予算的にも各方面の技量的にも、映画に必要な非日常感を作り出すことが難しかったため、パラパラ感の力に強く頼りました。
そのため作品の持つリアルさとのバランスがうまく取れたと思います。
(ちなみに、本作品では例外的に10fpsのシーンと30fpsのシーンが一つずつありますが、お気づきになりましたか?試写で見る限り、かなりカクカク、かなりヌルヌルで目立ってたように感じましたが、それぞれそうした理由があります)
 
 

【Cameraman and Editor's NOTE】22)ライブ撮影

【Cameraman and Editor's NOTE】21)ライブ撮影
本作に関しては、振りを細かく決めずに立ち稽古で動きを大まかに決めるにとどまっていて、それが基本的にはいい方向に出ていたのですが、細かく打ち合わせて準備しておけば、と心残りだったのがひっきぃさんのパントマイムのシーン。
編集でカットを割ってますが、実は長回し1本撮りなのです。(主演二人との絡みの引き絵はカメラマン映り込みが生じるので別撮り)
当初はそれを生かしたくて、写真のような2画面構成で、長回しであることを右下の画面で証明するような形にしていました。
最終的にはカットを割って1画面にしたのですが、代わりに編集マジックで一番派手なアクションをリピートで使ってたりしてます。(演じたひっきぃさん以外は気付かないと思います)
これはこれで良かったと思いますが、もう少しモーニング娘。みたいに撮れなかったかな、と。
なぜここで突然モーニング娘。が出てきたか、興味のある方はこの動画をご覧ください。

【Cameraman and Editor's NOTE】21)私という役者

Cameraman and Editor's NOTE】21)私という役者
現在公開中「ぼくたちは、夢中になりたい」に撮影・編集で関わっています。
それにまつわる話を【Cameraman and Editor's NOTE】として書いていきます。
 
公開から10日ほどたって、様々なご感想をSNSやアンケート等でいただいていますが、その中でどなたか分かりませんが私を名指しで演技が上手くて驚いた、というものがあったようです。
ありがとうございます。
正直、自分で演技して自分で撮影してたので、撮影が気になって演技どころじゃなかったのですが。(あげく一部ピントあってないし)
 
本作の出演者はさまざまなバックボーンを持っているとはいえ、全く確認してませんが、たぶん過去に劇場公開映画に出たことがあるのは私だけだと思います。
 
他の出演者には2011年公開の「セーラー服黙示録」に出た時の話をしました。
沼津の海から出てきて、太陽の光を浴びてすぐ死ぬゾンビ役で、一体、私は何のために沼津の海から陸に上がってきたのか、誰かに教えてほしかったところでした。
のちに「カメラを止めるな」というヒット映画の中で、アル中俳優が訳も分からず車いすで泣く演技をさせられて「俺、なんで泣いてるんだっけ?」という場面がありましたが、あれを見て静岡東宝会館で爆笑したものです。
 
あれが最後だと思ってましたが、2015年公開の「向日葵の丘・1983年夏」で、女子高生を覗き見する役をやったのをすっかり忘れてました。
あれも、無理だと言われながら映画を作る話でしたね。
 
ということで、5年に1回くらいは劇場公開作品で演技してます。
というか、本作はそこらの自主映画とは違って、劇場公開作品なのですよ。
 

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【Cameraman and Editor's NOTE】20)リモート

 
新しい生活様式とか言うそうですが、リモートの場面が増えていくのは必然。
ただそれが今、映像でどれだけ効果的に生かされているでしょう?
既にリモート会話があるドラマや動画をいくつも見ましたが、基本的にはただ二人横並びになってるだけ、というのが多いように思います。
感心したものは記憶にありません。
本作品ではリモート会話が3シーンあって、あえてそれぞれ別の表現にしました。冒険はしていませんが、新しい表現方法を模索しています。
リモートだからって横並びにする必要はないと思うんですよね。
一つの可能性として、役者の一人芝居の場として生かすことが出来るのではないでしょうか。
本作では鈴木菫さんの一人芝居がそれにあたります。
このシーン、対になる佐藤さんの一人芝居もありましたし、シナリオ上は半々に使うようになってました。それも良かったのですが、まるっと捨ててしまう結果になってしまいました。
寛目線でドキドキしてもらいたい、というのが主な意図です。
あと、菫さん一人芝居終わりからの場面切り替えは、寛の気持ちが伝わるように、タイミングを計算してありますので、そこもご注目ください。
カメラ目線って力強くても、物語の中では不自然になります。
でもリモートなら、カメラ目線が自然なんですよね。
もちろん、現実のリモート会話でカメラ目線になることはほぼないと思います。あくまでリアルの現実と表現上の自然とは違う、ということです。

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